猪木本の真打ち登場!気になる中身は?〜『猪木戦記 第1巻 若獅子編』おすすめポイント10コ〜 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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恒例企画「プロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コ」シリーズ。今回は58回目です。このシリーズはライターの池田園子さんが以前、「旅とプロレス 小倉でしてきた活動10コ」という記事を書かれていまして、池田さんがこの記事の書き方の参考にしたのがはあちゅうさんの「旅で私がした10のことシリーズ」という記事。つまり、このシリーズはサンプリングのサンプリング。私がおすすめプロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コをご紹介したいと思います。


さて今回、皆さんにご紹介するプロレス本はこちらです。





「猪木戦記」シリーズとは?
かゆい所に手が届く猪木ヒストリーの決定版!
日本プロレス時代から新日本プロレス時代まで、不世出のプロレスラー・アントニオ猪木の戦い、一挙一動を超マニアックな視点で詳しく追う。プロレス史研究の第一人者である流智美氏が猪木について書き下ろす渾身の書。全3巻。
第1巻には、日本プロレスの〝若獅子″としてスター街道を歩み始めた1967年(昭和42年)から、ジャイアント馬場とのBI砲で大人気を博すもクーデターの首謀者として日プロ追放の憂き目にあった1971年(昭和46年)までを掲載。

【目次】
1967年(昭和42年)
馬場の弟分、ゴッチの弟子として着々と爪を研ぐ

1968年(昭和43年)
“燃える闘魂”の片鱗を徐々に発揮し始める

1969年(昭和44年)
日プロ・NETの主役に躍り出る! 生涯忘れられない1年に

1970年(昭和45年)
猪木が“週2回地上波露出”で人気上昇! 馬場とほぼ並び立つ存在に

1971年(昭和46年)
天国と地獄! 栄光のUN王者が一転、団体追放の身に

【著者紹介】
流智美(ながれ・ともみ)
1957年11月16日、茨城県水戸市出身。80年、一橋大学経済学部卒。大学在学中にプロレス評論家の草分け、田鶴浜弘に弟子入りし、洋書翻訳の手伝いをしながら世界プロレス史の基本を習得。81年4月からベースボール・マガジン社のプロレス雑誌(『月刊プロレス』、『デラックス・プロレス』、『プロレス・アルバム』)にフリーライターとしてデビュー。以降、定期連載を持ちながらレトロ・プロレス関係のビデオ、DVDボックス監修&ナビゲーター、テレビ解説者、各種トークショー司会などで幅広く活躍。



今回は2023年にベースボール・マガジン社さんから発売されました流智美さんの『猪木戦記 第1巻 若獅子編』を紹介させていただきます。

2022年10月に逝去された「燃える闘魂」アントニオ猪木さん。プロレス界のカリスマである猪木さんを追悼する書籍や番組が世に出ましたが、遂にあの流智美さんによる猪木本が発売されました。いよいよ真打ちの登場!

その内容は「日本プロレス時代から新日本プロレス時代まで、不世出のプロレスラー・アントニオ猪木の戦い、一挙一動を超マニアックな視点で詳しく追う。プロレス史研究の第一人者である流智美氏が3巻に渡り、猪木について書き下ろす渾身の書」という内容。

流さんといえば、一時期「プロレス博士」「日本一プロレスに詳しい男」と呼ばれた重鎮プロレス評論家で、2018年7月にアメリカのアマレス&プロレス博物館「National Hall of Fame」ライター部門で殿堂入り、2023年3月にはアメリカのプロレスラーOB組織「Cauliflower Alley Club」最優秀ヒストリアン部門を受賞したプロレスマスコミ界のレジェンドなのです。


やはりこの本、面白かったです!

今回はこの本の各章ごとに個人的な見どころをプレゼンしていきたいと思います!よろしくお願い致します!


★1.真摯に猪木本に向き合う流さん
【1967年(昭和42年)馬場の弟分、ゴッチの弟子として着々と爪を研ぐ】

まずこの本の特徴としては猪木さんがデビューした1960年〜1966年までの歴史には触れていません。その理由は、その時期は流さんがプロレスに興味を持っていないから。1968年からプロレスを好きになった流さんは、「1967年の猪木に関しては、翌年ファンになってから収集したものや先輩記者から拝聴したことを元に書いている。実際に自分で見ていない猪木について書くのは筆者として引け目を感じるのだが、そこはあらかじめご了承いただきたい」と説明しています。

流さんとの知識があれば、1960年〜1966年の猪木さんについても書けると思うのですが、それを良しとしなかったのが、真摯に猪木本に向き合い、自分が見てきた猪木さんについて綴りたいという流さんの信念が伝わってきます。



★2.ネックブリーカー・ドロップをフィニッシャーにしていた猪木さん
【1967年(昭和42年)馬場の弟分、ゴッチの弟子として着々と爪を研ぐ】

これは勉強不足で申し訳ありません。この流さんの本を読んで、猪木さんが「コブラツイストに次ぐフィニッシュ技」としてネックブリーカー・ドロップを使っていたという事実を知りました。個人的には新発見。しかも若手時代に切り札として使っていたとのこと。

しかも猪木さんのネックブリーカー・ドロップは、ビル・ロビンソンがやっていたショルダー・ネックブリーカーに近い形なので、強烈だったんだろうなぁと感じました。

やっぱり流さんの本は学ぶべきことは多いです!




★3.猪木、試合欠場事件
【1968年(昭和43年)“燃える闘魂”の片鱗を徐々に発揮し始める】

実は猪木さん、1968年1月8日広島大会でジャイアント馬場さんと保持していたインタータッグ王座防衛戦を急遽欠場したのです。一体に何があったのか?流さんは、東京スポーツで長年、猪木番を務めてきた櫻井康雄さんから重要な証言を聞いていました。

「7日の大阪府立の試合で、このあと猪木は新幹線の最終便で東京の野毛の自宅に戻ったんです。試合前に大阪から電話をしたときに、自宅にいたダイアナさんが『今夜帰ってきてくれなければ、自殺する』みたいなことを口走ったらしい。一種のヒステリーですよ。確かダイアナさんと娘の文子ちゃんが、野毛に住み始めて間もない頃で、不安だったとは思います。しかし、8日の試合地は広島ですからね。交通機関が発達した今でも、前日に東京に戻ってしまうと、なかなか翌日広島に間に合わすのは大変ですよ」

猪木さんは空路や鉄道でなんとか広島に向かったのですが、広島に到着したのは夜10時過ぎ、試合には間に合いませんでした。この一件がきっかけで日本プロレス内での猪木の信頼度は暴落していくのです。

しかし、この一件で奮起した猪木さんは、2月3日の大田区体育館でのインター・タッグ王座戦で、獅子奮迅の大活躍。流さんはこの試合の猪木について「燃える闘魂の原型となった猪木の一人舞台」と評したのです。

悔しさや怒りをエネルギーにしてリングで燃え上がる。まさに燃える闘魂ですよね!





★4.ゴールデン・シリーズ中のオフショット
【1968年(昭和43年)“燃える闘魂”の片鱗を徐々に発揮し始める】


この本ではベースボール・マガジン社さんが所有している猪木さんのお宝写真がカラーやモノクロも含めて多数、掲載しています。

個人的に特に印象的だったのが、6月の岐阜で撮影された一枚。

めちゃくちゃカッコいいんです!野性的で勇敢で凛々しくて、どこか優しさもある。

この本の表紙の写真は「これ、選ぶの?もっと他にあるんじゃないのか」と少し疑問なところがあったのですが、やはり中をめくっていくといい写真が多かったです!


★5.卍固め、誕生!
【1969年(昭和44年)日プロ・NETの主役に躍り出る! 生涯忘れられない1年に】

猪木さんといえば、代名詞である卍固め。この卍固めという名称は、公募によって決まったものなのです。

「卍固め」「アントニオ・スペシャル」「カンジガラミ」「タコ固め」と候補が上がった中で「卍固め」が選ばれたそうです。ちなみに試合会場で猪木さんと隣でこの名称を発表したのが当時日本テレビの徳光和夫アナウンサーだったのです。馬場さんとの交流が深い印象がある徳光さんですが、実は猪木さんとも仲が良かったと言われています。

卍固め、改めて考えるとプロレス界の大発明ですよね!

★6.猪木さん、ワールドリーグ戦優勝!
【1969年(昭和44年)日プロ・NETの主役に躍り出る! 生涯忘れられない1年に】

流さんはこの本の中で「日本プロレスが開催したシリーズの中で歴代のベストワンは1969年の第11回ワールドリーグ戦だった」と書いています。

オールドファンはご存知かもしれませんが、いざその内容を読んでいくと、めちゃくちゃスリリングなリーグ戦だったことが伝わります。馬場さん、ボボ・ブラジル、クリス・マルコフ、ゴリラ・モンスーンと強豪揃いの大会を当時27歳の猪木さんが制したことにより、「猪木時代の始まり」と書いたスポーツ新聞があったようです。



★7.「腕ひしぎ十字固め」か、「指固め」か
【1970年(昭和45年)猪木が“週2回地上波露出”で人気上昇! 馬場とほぼ並び立つ存在に】

ここで流さんらしさが爆発している一文を発見。猪木さんがインター・タッグ戦で「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックを相手に「腕ひしぎ十字固め」でギブアップ勝ちをしたというくだりがあるのですが、流さんは「決まり手は『腕十字固め』となって残ったが、当時私がテレビで見た限りでは『腕ひしぎ十字固め』ではなく、単なる『グラウンド状態でのフィンガーロック(エリックの右の指を3~4本、反るように折り曲げた)』だったと思う。つまり正確には『指固め』だったのだが、これが後年、『猪木がやった、初の腕ひしぎ十字固めによるフィニッシュ。相手はエリック』と書かれ現在に至っていることは違和感を覚える」と綴っています。

これでこそ流さん!!めちゃくちゃマニアックな指摘。しかも粘着質や陰湿ではなく、カラッと明瞭にマニアックなネタを持っていけるのが流さんの強み。長年プロレスマニアとして、マニアックな話もきちんと文章表現してきた流さんの芸当だと思います!

「かゆいところに手が届く猪木ヒストリーの決定版」と本の帯に書かれていましたが、それよりは「猪木論のスキマをマニアックな指摘で突いた猪木ヒストリーの決定版」という印象が強いです。「かゆいところに手が届く」という表現よりめちゃくちゃ凄くて、尊いことを流さんはされているということをプロレス考察家として、このレビューを通じてお伝えしておきます。


★8.スター誕生!
【1971年(昭和46年)天国と地獄! 栄光のUN王者が一転、団体追放の身に】

猪木さんは3月26日にアメリカ・ロサンゼルスでジョン・トロスを破り、UN王座を奪取。猪木さんは女優・倍賞美津子さんと共に凱旋し、2人は婚約を発表。東京スポーツには「猪木時代 華麗なる幕開け」という見出しが踊りました。

プロレス界のスターと、未来に担う女優の結婚って今の時代で例えてみると…なんていう話になることもありますが、例えようがありません(笑)今の時代に「世間で知られているような若きスターレスラーがいるのか?」というと疑問符ですから。

倍賞美津子さんとの出逢いが猪木さんをカリスマに押し上げていく要因のひとつとなったことは間違いないですね。
 

★9.猪木、日本プロレスから除名
【1971年(昭和46年)天国と地獄! 栄光のUN王者が一転、団体追放の身に】

1971年12月、日本プロレスは猪木さんが会社乗っ取りを画策したとして、除名処分を発表します。

この「猪木除名事件」について流さんが事の経緯に詳しく綴っていますが、その真相は今も謎。

猪木さんが馬場さんの対戦を要求したくだりから、じわりじわりと進んでいったと思われる「猪木除名事件」ですが、当時の心境も踏まえながら流さんが綴っていたのが印象的です。


★10.
【あとがき】

あとがきで、流さんは猪木さんの日本プロレス時代のシングル名勝負10試合を紹介しています。このセレクトは流さんらしく、なんと次点として4試合も紹介(笑)。もう「ベストバウト10とかじゃなくてベストバウト20でいいじゃないですか!流さん!」と言いたくなりました。

流さん曰く「猪木さんについて回顧するには時間が欲しかった」と書いていますが、それでも十分、あらゆるところからマニアックな指摘がされていて面白かったです。

あとこれは最初から最後まで感じたことですが、「猪木さんについて一冊、ガッツリ書けるんだ!」という流さんの喜びというものを感じ、読んでいて嬉しくなりました。流さんをリスペクトしている私からすると、「猪木さんをマニアック視点で綴るんだ!」「あの時の自分の境遇や想いを乗せるんだ!」という気概を感じた作品でした。

個人的には異種格闘技戦以前の猪木さんと異種格闘技戦以後の猪木さんってプロレスラーとしてのスタイルも結構変わった印象があったので、その部分についてのインプットには最適な参考文献だと思います!

ただ、個人的に感じたのは『猪木戦記』シリーズのクライマックスは第2巻、第3巻に待っているような気がします。ここからさらに熱量もクオリティーが上がっていく必要性があり、それは流さんにとっても、編集者である元週刊プロレス&格闘技通信の編集長である本多誠さんにとっては大きな宿題となった印象があります。

そこはプロレス本に一石を投じた『日本プロレス事件史』シリーズで編集者を務めた本多さんですし、優秀な編集者&記者である本多さんなら、やってくれると信じています!

思えば本多さんが編集長時代の格闘技通信を愛読していたが、全体的にめちゃくちゃ読みやすかった印象があって、『日本プロレス事件史』シリーズは記事や本を書く際に参考文献としてめちゃくちゃ役立ちました。



流さんと本多さんのプロレスマスコミ界のBIコンビが新日本プロレス時代の猪木さんについてどう踏み込んで書くのか。楽しみです!

この本、一冊だけでは判断すると、少し物足りない。それは「猪木さんについて回顧するには時間が欲しかった」という流さんの思いもよくわかります。

例えば流さんが猪木さんの日本プロレス時代のシングル名勝負10試合【次点が4試合】は、あとがきで紹介するのではなく、各章(年ごとに章は分かれていた)の最後に別枠で「極私的猪木名勝負」という形で組み込んで試合について詳しく紹介するのもありだったかなと。その方が個人的には読みやすいと感じます。試合に関しては本編で紹介しているのですが、きちんと別枠で読みたかったですね。

(例)
【1967年(昭和42年)馬場の弟分、ゴッチの弟子として着々と爪を研ぐ】
極私的猪木名勝負 3試合

【1968年(昭和43年)“燃える闘魂”の片鱗を徐々に発揮し始める】
極私的猪木名勝負 3試合

【1969年(昭和44年)日プロ・NETの主役に躍り出る! 生涯忘れられない1年に】
極私的猪木名勝負 3試合

【1970年(昭和45年)猪木が“週2回地上波露出”で人気上昇! 馬場とほぼ並び立つ存在に】
極私的猪木名勝負 3試合

【1971年(昭和46年)天国と地獄! 栄光のUN王者が一転、団体追放の身に】
極私的猪木名勝負 3試合


ただ、この本は3巻でひとつの歴史作品。第2巻、第3巻が世に出て『猪木戦記』シリーズが完結した時にこの第1巻の役割が変わるような気がします。

『猪木戦記 第1巻 若獅子編』が壮大な大河ドラマ読物の序章なのかもしれません。


 



 

 


皆さん、チェックのほどよろしくお願いいたします!


流智美さんの『猪木戦記』シリーズ、第2巻と第3巻に乞うご期待!!!